散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

横浜山手界隈(6)

エリスマン邸

今回巡り回った洋館の中で最も寛げたのが、このエリスマン邸だ。平日にいけば、どのような写真撮影でもゆっくり心いくまで楽しめるだろう。酷暑の中歩きまわったので、ここの喫茶室でのんびりクールダウンをした。はるか遠くにマリンタワーも望める。近くには、元町公園の緑が目に優しい。喫茶室にはごく短時間しかいない方なのだが、私にしては珍しく少し長い時間楽しんだ。
エリスマン邸_1
エリスマン邸_2
エリスマン邸_3
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べーリック・ホールと小道を挟んで移築されているのはエリスマン邸です。
エリスマン邸は、生糸貿易商社シーベルヘグナー商会の横浜支配人として活躍した、スイス生まれのフリッツ・エリスマン氏の邸宅として、大正14(1925)年から15(1926)年にかけて山手町127番地に建てられました。設計は、「現代建築の父」といわれるチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドです。
当時は木造2階建て、和館つきで建築面積は約81坪。屋根はスレート葺、階上は下見板張り、階下は竪羽目張りの白亜の洋館でした。煙突、ベランダ、屋根窓、上げ下げ窓、鎧戸といった異人館的要素をもちながら、軒の水平線の強調など、設計者レーモンドの師匠である世界的建築家F.L.ライトの影響も見られます。
昭和57(1982)年マンション建築のため解体されましたが、平成2(1990)年元町公園内の現在地(旧山手居留地81番地)に再現されました。1階には暖炉のある応接室、居間兼食堂、庭を眺めるサンルームなどがあり、簡潔なデザインを再現しています。椅子やテーブルなどの家具は、レーモンドが設計したものです。かつて3つの寝室があった2階は、写真や図面で山手の洋館に関する資料を展示しています。また、地下ホールは貸し出しスペースとして、昔の厨房部分は、喫茶コーナーとしてご利用いただけます。


べーリック・ホール

イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅だった。20歳で来日し、52歳で建てた。その愛着ひとしおの邸宅。第2次世界大戦勃発寸前の情勢で、10年ほど住んだだけでやむなく去らなくてはならなくなったベリック氏の無念さはいかばかりだっただろうか?
それにしてもマリア会に寄付されたのは何故?誰か家族がセント・ジョセフ・インターナショナル・スクールに通っていたというような事情があったのだろうか?
英国人だから必ずしも国教会の信徒というわけでなく、カトリックの信徒も少なからずいるのだが。

べーリック・ホール_1
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べーリック・ホール(旧ベリック邸)は、イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として、昭和5(1930)年に設計されました。第二次世界大戦前まで住宅として使用された後、昭和31(1956)年に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付され、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていました。
現存する戦前の山手外国人住宅の中では最大規模の建物で、設計したのはアメリカ人建築家J.H.モーガンです。モーガンは山手111番館や山手聖公会、根岸競馬場など数多くの建築を残しています。600坪の敷地に立つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルを基調とし、外観は玄関の3連アーチや、イスラム様式の流れをくむクワットレフォイルと呼ばれる小窓、瓦屋根をもつ煙突など多彩な装飾をつけています。内部も、広いリビングやパームルーム、和風の食堂、白と黒のタイル張りの床、玄関や階段のアイアンワーク、また子息の部屋の壁はフレスコ技法を用いて復元されているなど、建築学的にも価値のある建物です。
平成13(2001)年横浜市は、建物が所在する用地を元町公園の拡張区域として買収するとともに、建物については宗教法人カトリック・マリア会から寄付を受け、復元・改修等の工事を経て、平成14(2002)年から建物と庭園を公開しています。

 

横浜山手界隈(5)

横浜山手聖公会
英語表記はChrist Church。英語で、Christ Churchはニュージランドの都市名であると同時に、修飾語を入れない限り国教会や聖公会のチャペルを指すようだ。大谷石が外壁に貼りめぐらされている目に優しい感じの建物だ。
初代の建物は、1863(文久3)年横浜の居留地(今の中華街)に建てられた。
2代目の建物から現在地に移った。尖塔を持った煉瓦造のゴシック様式の教会がコンドルの設計によって建てられたが、震災で倒壊した。そのため、現在の建物である3代目の建物がJ.H.モーガンの設計で1931年に建てられた。1947年に内部修復工事が完成。また、この時から日本人信徒をも受け入れるようになったようだ。ノルマン様式の聖堂だそうだ。
横浜山手聖公会_1
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横浜山手聖公会_5

山手234番館
一般公開してからの年数は浅く、私自身は初めて中に入った。外国人向けの共同住宅にしてはやや狭い感じだが、昭和初期当時の住宅事情ではやむをえなかったのだろうか。
山手234番館_10
山手234番館_1
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エリスマン邸の斜め前、山手本通沿いに建つ山手234番館は、昭和2(1927)年頃外国人向けの共同住宅(アパートメントハウス)として、現在の敷地に民間業者によって建設されました。関東大震災により横浜を離れた外国人に戻ってもらうための復興事業の一つとして建てられ、設計者は、隣接する山手89-6番館(現えの木てい)と同じ朝香吉蔵です。
建設当時の施設は、4つの同一形式の住戸が、中央部分の玄関ポーチを挟んで対称的に向かい合い、上下に重なる構成をもっていました。3LDKの間取りは、合理的かつコンパクトにまとめられています。また、洋風住宅の標準的な要素である上げ下げ窓や鎧戸、煙突なども簡素な仕様で採用され、震災後の洋風住宅の意匠の典型といえます。
建築後、第2次世界大戦後の米軍による接収などを経て、昭和50年代頃までアパートメントとして使用されていましたが、平成元(1989)年に横浜市が歴史的景観の保全を目的に取得しました。平成9(1997)年から保全改修工事を行なうとともに、平成11(1999)年から一般公開しています。1階は再現された居間を中心に山手地区の洋館のパネル展示、2階は貸し出しスペースとして、ギャラリー展示や会議等にご利用いただけます。


同じ朝香吉蔵設計のえの木ていえの木てい

 

横浜山手界隈(4)

港の見える丘公園からの眺め
港の見える丘からの眺め_1
港の見える丘からの眺め_2
港の見える丘からの眺め_3
港の見える丘からの眺め_4

マリンタワーを望む
随分知名度が低くなってしまってはいるが、依然として横浜のランドマークの一つとして聳え立っている。
高所恐怖症の私には足が向かない施設だ。

1958年:横浜開港100周年記念事業の一環として、市民からの発意により建設が計画され、民間運営会社が設立される
1961年:マリンタワー開業
2006年:横浜市が開港150周年に向けて再生することを決定
2009年:リニューアルオープン


マリンタワー

山手資料館
その名が示すように横浜開港期を偲ばせるさまざまな資料を展示公開している。ごく小さな建物で、一度見れば二度と行かなくても済みそうな感じだ。しかし、公営の施設ではないことを考えれば、入館料の200円はそれほど高くはないだろう。問題は館内が写真撮影禁止なこと。写真撮影を禁じる要素は殆ど無いように思われ、そのことはどうにも解せなかった。
グリーンベンチとガス灯は自由に入れる屋外部分にある。外から見たほうが良さそうな建物だった。

明治42年に建てられた横浜市に残る唯一の木造西洋館を、昭和52年に勝烈庵創業50周年事業として外国人墓地前のレストラン山手十番館庭内に移築いたしました。

山手資料館
山手資料館とガス灯
ガス灯
グリーンベンチ
獅子頭の共同水栓

 

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