散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(9)

満福寺を後にし、鎌倉高校前駅まで歩く

途中の様子
稲村ケ崎方面へ向かって右側を歩きながら海を撮った。歩道がないのでひやひやしながら。時期的に当然だが、海にはサーファーしかいない。
途中の様子_1
途中の様子_2
途中の様子_3
途中の様子_4
途中の様子_5
途中の様子_6
途中の様子_7
途中の様子_8
途中の様子_9
鎌倉高校前駅が近くなってきた
くねくね曲がっているのが特徴だなあ。運転士も大変だろう。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_1
鎌倉高校前駅が近くなってきた_2
ミニミニ踏切が印象的。一日券を持っていたから心配しなかったが、ここから上がってよかったのかなあ。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_3
ここまでくると江の島が小動岬に邪魔されずにはっきり見える。いい感じだ。
鎌倉高校前駅が近くなってきた_4
鎌倉高校前駅にて
本当は隣接しているミニ墓地に行くための踏切なのかなあ。
鎌倉高校前駅にて
小動岬のすぐ左奥に富士山がうっすらと見える。お分かりいただけるだろうか。見えない時は心の目で見ていただきたいものだ
小動岬のすぐ左奥に富士山がうっすらと見える
鎌倉行きが到着。これに乗って帰ることにする。
鎌倉行きが到着
駅でないところですれ違い
ここでは駅でないところでの微妙がすれ違いがある。鉄道好きには魅力ある瞬間だろう。鎌倉行きは左のほうに入る。
駅でないところですれ違い_1
鎌倉行きは待機中なのだが、何か脱線したように写っている。デフォルメされた所為なのだろうか。
駅でないところですれ違い_2
藤沢行が迫ってくる
駅でないところですれ違い_3
駅でないところですれ違い_4
駅でないところですれ違い_5
ここに車両基地があるようだ
本当に小さな基地だなあ。最大で何本の電車が入ることができるのだろうか。
ここに車両基地があるようだ_1
ここに車両基地があるようだ_2

以上で、『長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺』シリーズは終了です。最後までご覧いただきありがとうございました。

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(8)

満福寺(2)
本堂内部の様子
鎌倉彫などが飾られ、なかなか豪勢な感じだ
本堂内部の様子_1
本堂内部の様子_2
本堂内部の様子_3
本堂内部の様子_4
本堂内部の様子_5
本堂内部の様子_6
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本堂内部の様子_9
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本堂内部の様子_11
本堂内部の様子_12
本堂内部の様子_13
本堂内部の様子_14
またもや先ほどのにゃんこが
『私は断然義経派だから。文句を言おうものなら承知しないからね』とでも言いたいのかな。寝転がって言ったのでは説得力がないぞ。
またもや先ほどのにゃんこが
腰越状とされるもの
当然複写したものなのだろうと思ったが、腰越状の下書きのようだという見解もあるようだ。
近世の研究では本物の文面ではないとする意見が大勢のようである。鎌倉幕府の公式記録ともいうべき『吾妻鏡』に所収されているというのに、いったいどういうことなのだろうか。義経の右筆の作成した書状であり、それを吾妻鏡編纂者が多少改竄したものだろうか。

腰越状とされるもの_1
腰越状とされるもの_2

腰 越 狀          源 義 經

左衛門少尉源義經乍恐申上候意趣者被撰御代官其一爲 勑宣之御使傾 朝敵顯累代弓箭之藝雪會稽耻辱可被抽賞之處思外依虎口讒言被默止莫太之勲功義經無犯而蒙咎有功雖無誤蒙御勘氣之間空沈紅涙倩案事意良藥苦口忠言逆耳先言也因茲不被糺讒者實否不被入鎌倉中之間不能述素意徒送數日當于此時永不奉拜恩顔骨肉同胞之儀既似空宿運之極處歟將又感先世之業因歟悲哉此條故亡父尊靈不再誕給者誰人申披愚意之悲歎何輩垂哀憐哉事新申狀雖似述懷義經受身體髮膚於父母不經幾時節故頭殿御他界之間成孤被抱母之懷中赴大和國宇多郡龍門之牧以來一日片時不住安堵之思雖存無甲斐之命京都之經廻難治之間令流行諸國隱身於在々所々爲栖邊土遠國被服仕土民百姓等然而幸慶忽純熟而爲平家一族追討令上洛之手合誅戮木曾義仲之後爲責傾平氏或時峨々巖石策駿馬不顧爲敵亡命或時漫々大海凌風波之難不痛沉身於海底懸骸於鯨鯢之鰓加之爲甲冑於枕爲弓箭於業本意併奉休亡魂憤欲遂年來宿望之外無他事剩義經補任五位尉之条當家之面目希代之重職何事加之哉雖然今愁深歎切自非佛神御助之外者爭達愁訴因茲以諸神諸社牛王寶印之裏不插野心之旨奉請驚日本國中大小神祇冥道雖書進數通起請文猶以無御宥免我國神國也神不可禀非禮所憑非于他偏仰貴殿廣大之御慈悲伺便冝令達高聞被廻秘計被優無誤之旨預芳免者及積善之餘慶於家門永傳榮花於子孫仍開年來之愁眉得一期之安寧不書盡愚詞併令省略候畢欲被垂賢察義經恐惶謹言
  元暦二年五月日
     左衛門少尉源義經
 進上 因幡前司殿


本堂の近くで
本堂の近くで_1
こちらは足腰の調子を確かめながら腰越から歩いてきたのに、彼女たちは観光タクシーでさっと乗り付けてきた。どこのお寺さんに行ったかくらいは理解していってほしいものだ。
本堂の近くで_2

 

長谷寺~光則寺~極楽寺~満福寺(7)

極楽寺駅から腰越駅まで再び江ノ電に乗る。ほどなく車窓左手に鎌倉の海が見えてくる。江ノ電でも最高の景観を楽しむことができる区間だろう。

極楽寺駅
極楽寺という言葉から、TVドラマ『俺たちの朝』を思い出す方は相当な年配者かも。このドラマの影響で、廃線寸前だった江ノ電が息を吹き返したのだから、江ノ電にはありがたいことだったのだろう。
桜橋から見た駅の様子
桜橋から見た駅の様子
駅の真下を水が流れている
駅の真下を水が流れている_1
駅の真下を水が流れている_2
行きかう電車
行きかう電車_1
行きかう電車_2
行きかう電車_3
行きかう電車_4
行きかう電車_5

腰越駅
まもなく到着
まもなく到着
腰越から藤沢方面へ向かってしばらくは路面電車区間
今回はこちらとは逆の方向に進む
しばらくは路面電車区間

腰越状の満福寺を見に行く。行く前は満福寺の読み方から連想して近くのぼたもち寺『法源寺』にも行くつもりでいた。しかし、予定時間をかなりオーバーし、体調も気になったので、ぼたもち寺『法源寺』はパスし、満福寺のみの訪問とした。

満福寺(1)
途中の案内
これじゃ案内になっていないのだが
これじゃ案内になっていないのだが
見えてきた満福寺
本当にすれすれを江ノ電が走るものだ。こんなゆっくり走行でも、込み合う自動車をしり目にすいすい進むんだ。
見えてきた満福寺_1
見えてきた満福寺_2
見えてきた満福寺_3
見えてきた満福寺_4
見えてきた満福寺_5
見えてきた満福寺_6
見えてきた満福寺_7
見えてきた満福寺_8
近くて遠き鎌倉
1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、平家の大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしたが、兄頼朝は鎌倉に入ることを許さなかった。これ以上ないと思うほどの武勲を挙げたのに。その昔は腰越町と鎌倉町とは隣接している行政区ではあっても、長らく同じ町ではなかったのだ。昭和14年に合併して鎌倉市になったくらいだから、鎌倉時代は歴とした区域外だったのだろう。
すぐ近くにとどめ置かれた義経の胸中は如何ばかりだったのだろう。書状をしたためて、すがりたくなる気持ちがわからないでもない。

本堂手前には腰越状をしたためる主従のモニュメントが
本堂手前には腰越状のモニュメントが_1
本堂手前には腰越状のモニュメントが_2
本堂
本堂
弁慶の腰掛石
弁慶の腰掛石
受付猫
これこれ凶悪な面構えの爺さんが目の前にいるぞ。油断しちゃ、まずいのでは。もしかして、おみくじ猫の販売担当を自任しているのかな。
受付猫

元暦2年(1185年)5月、源義経が兄頼朝に怒りを買い、鎌倉入りを許されず腰越の地に留められた際に、頼朝に心情を訴える腰越状を書いた寺として知られる。寺には弁慶が書いた腰越状の下書きとされる書状が展示されており、境内には弁慶の腰掛け石や手玉石など、義経・弁慶ゆかりの品々が多数展示されている。

 

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