散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

何度目かの川崎市立日本民家園(14)

(23)菅原家住宅(すがわらけじゅうたく)《東北の村》
合掌造りとはまた違った豪雪地帯に対応した家屋。どちらのほうが寒さに強かったのだろうか。
外観
外から見た格好がものすごく良い。惚れ惚れするほどだ。
外観_1
屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫していたのだそうだ。どれくらいの効果なのかは、屋内の写真で確認されたい。
外観_6
外観_2
外観_3
外観_4
外観_5
グシグラという屋根棟
茅葺屋根の屋根棟としては、
 1)竹簀巻き(たけすまき)…編んだ竹で棟の茅を巻く構造。日本各地で多く見られる。
 2)置千木(おきちぎ)…木を組み合わせて棟を覆う構造。木材の豊富な山間部に見られる。
 3)笄棟(こうがいむね)…茅を棟に積み重ね、屋根から突き出させた木材に締めて固定する構造。
 4)芝棟(しばむね)…意図的に木や草を生やし、その根で棟の弛みをなくす構造。

などがあるようだ。このクシグラは置千木に類するものなのだろう。
グシグラという屋根棟
家屋内部
家屋内部_1
家屋内部_2
家屋内部_3
家屋内部_4
家屋内部_5
家屋内部_6
家屋内部_7
家屋内部_8
高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしているので、眩しいほどの光が射し込んでいた
家屋内部_9
家屋内部_10
神奈川県指定重要文化財
旧所在地:山形県鶴岡市松沢
建物区分:農家(肝煎の家)
構造形式:寄棟造(高ハッポウおよびハッポウ付き)、妻入、一部二階、背面庇付、茅葺、桁行15.8m、梁行9.6m
建築年代:18世紀末期

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屋根に高窓のある豪雪地帯の家
湯殿山麓の田麦俣(たむぎまた)集落やその周辺には、ハッポウ造と呼ばれる独特の民家が分布しています。養蚕のために二層三層をつくり、屋根に高窓(ハッポウ)を設けて採光の工夫をしたその姿は、非常に特徴的です。
菅原家住宅もこのハッポウ造の民家で、高い軒や板壁で囲った外観などに豪雪地域の家づくりがうかがえます。
豪雪は間取りにも影響しています。大戸口前のアマヤ(前室)をはじめ、ニワ(土間)に物置やイナベヤ(板敷)を設ける点などは、雪の多い冬場の暮らしを考慮した工夫です。
見どころポイント!
雪に濡れたものを脱げるよう、入り口にアマヤを設けています。
積雪時にも立て付けが悪くならないよう、敷居に車が設けてあります。


以上で『何度目かの川崎市立日本民家園』シリーズを終了します。最後までご覧頂き有難うございました。

 

何度目かの川崎市立日本民家園(13)

(21)菅の船頭小屋(すげのせんどうごや)《神奈川の村》
大水が出た時は、鉄輪に棒を挿入し担いで避難した。移動可能なように簡易なものだが、それなりに機能的になっている。
菅の船頭小屋_1
菅の船頭小屋_2
こちらは片側の鉄輪が外れてしまったのだろうか
菅の船頭小屋_3
小屋の内部はこんなふう
菅の船頭小屋_4
川崎市重要歴史記念物
旧所在地:神奈川県川崎市多摩区菅
建物区分:船頭小屋
構造形式:切妻造、杉皮葺、桁行1.8m、梁行1.8m
建築年代:昭和4年(1929)

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多摩川の「菅の渡し」にあった船頭小屋
この船頭小屋は多摩川の「菅(すげ)の渡し場」にあったもので、船頭が客待ち・休憩・川の見張りをするのに用いていました。
菅の渡しは、川崎側の菅と、東京側の調布とを結ぶ渡船場で、商品作物の輸送、肥料や日用品の仕入れ、親戚や寺への往来など、暮らしの中で使われていました。
この建物の屋根は杉皮葺きで、前後に傾斜させた「招き屋根」の形をしています。背面には小さな窓があり、対岸の客を見ることができるようになっていました。
なお、外回りの柱には大きな鉄の輪が取り付けられています。出水のさいにはこの輪に丸太を通して担ぎ上げ、小屋を移動させました。
見どころポイント!
出水時に小屋が移動できるよう、四隅の柱には丸太を通し担ぐための鉄の輪が取り付けられています。
中は狭いながら畳が敷かれ、小さな囲炉裏も設けられています。


(22)工藤家住宅(くどうけじゅうたく)《東北の村》
今回は完璧に見て回ったと思ったのに、大ポカをやらかしてしまった。工藤家住宅をまたもや見落としてしまった。言い訳にもならないのだが、最後の頃で疲れているのと、奥まっているところにあるので、見落としやすい。
今回は、以前に行ったときの写真を再度使用させていただく。(^_^;)

工藤家の間取り
工藤家の間取り
工藤家住宅_1
間取り図でもお分かりただけると思うが、かなり大きな住宅だ
工藤家住宅_2
工藤家住宅_3
下座敷は板の間だったんだ。畳敷きなど滅多に使わないのにもったいないということだろうか。そして天井などはなかったんだ。この方が暖気の回りが良かったのか。う~~ん。
工藤家住宅_4
ここがナンド。客人のための間と家人のための間とを仕切るべくここに作られたのだろうか。
工藤家住宅_5
土間の橋には厩が。暖房の程度は人間と同じか。
工藤家住宅_6
暖気の回りを良くする構造ということだった。よほど大きな囲炉裏なのかと思ったのだが、かなり小さな囲炉裏だった。台所と土間との境にあった。それの、この馬鹿でかい家屋にたった一つ。目を凝らしてみて歩いたが、火鉢も置いていなかったようだ。すぐ上のキャプションで、『暖房の程度は人間と同じか』と書いたが、皮肉を込めて書いたもので、実際はかなり寒かったと思う。
工藤家住宅_7
工藤家住宅_8
工藤家住宅_9
工藤家住宅_10
工藤家住宅_11
工藤家住宅_12
工藤家住宅_13
国指定重要文化財
旧所在地:岩手県紫波郡紫波町舟久保
建物区分:農家(名主の家)、曲屋
構造形式:寄棟造、茅葺、桁行19.2m、梁行11.1m/南面に馬屋突出、寄棟造、茅葺、桁行7.6m、梁行6.3m
建築年代:宝暦(1751〜1763)頃

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馬と共に暮らした南部の曲屋
主屋の前に馬屋を突出させたL字型の民家は、旧南部藩領(なんぶはんりょう、岩手県)に多いことから「南部の曲屋」として知られています。これは、南部馬の飼育が盛んになる江戸時代中期に工夫された形式と考えられます。宝暦頃に建てられた工藤家は現存最古の曲屋の一つといえます。民家園の中で一番敷地面積の広い家です。
主屋には天井がありません。この地方はもともと天井のない家が多く、厳しい冬場は囲炉裏の火で家全体を暖めながらすごしました。ダイドコの囲炉裏はニワからも利用することができます。ダイドコとジョウイは日常生活の場、ナンドは寝室です。ザシキは床の間も備えた特別な部屋で、この広い家で唯一畳が敷かれています。
見どころポイント!
曲がった部分は馬屋になっていました。
土間境にある囲炉裏は、土足のまま踏み込んで暖まれるようになっていました。

 

何度目かの川崎市立日本民家園(12)

(20)船越の舞台(ふなこしのぶたい)
ここは、この日本民家園の敷地の一番高いところにあり、すぐ下の展示家屋のところから、長い階段道をえっちらおっちら上らなくてはならない。疲れた脚には意外に堪える。でも、頑張って行くだけの価値はあると思う。
外観
外観_1
建物正面舞台の様子
回り舞台になっているのがわかる。夜の公演は強力な照明がなかった時には難しかったのかなあ。
それにしてもこんな大掛かりな仕掛けを作るとは、昔の農村や漁村は力があったのだろうか

建物正面舞台の様子_1
建物正面舞台の様子_2
建物正面舞台の様子_3
建物正面舞台の様子_4
建物正面舞台の様子_5
建物正面舞台の様子_6
建物地下の奈落
腰を屈めて、頭をごツンとぶつけないように注意が必要
建物地下の奈落_1
建物地下の奈落_2
建物地下の奈落_3
建物地下の奈落_4
建物地下の奈落_5
建物地下の奈落_6
この坂を上っていくのだ
この先が急勾配で、闇休み上り降りする人が目立つ。ムリしないほうが良いのにと思いながらも軽く会釈してすれ違う。
この坂を上っていくのだ
重要有形民俗文化財
旧所在地:三重県志摩市大王町船越
建物区分:歌舞伎舞台
構造形式:正面入母屋造、背面切妻造、桟瓦葺、一部二階、桁行9.1m,梁行10.8m/側面出語付、桟瓦葺/背面庇付、桟瓦葺、桁行10.8m、梁行2.7m/側面楽屋付、切妻造、桟瓦葺、桁行5.3m、梁行7.3m
建築年代:安政四年(1857)、墨書

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回り舞台を備えた漁村の歌舞伎舞台
この舞台は、もと志摩半島の漁村の神社境内にありました。建てられたのは江戸時代末期の安政四年(1857年)です。
屋根は正面が入母屋造、大棟(おおむね)には凝った鬼瓦を配しています。これに対し背面は切妻造で、鬼瓦も小さく単純です。こうした外観は、正面性を重視する舞台建築の性格をよくあらわしています。なお、鬼瓦や軒先瓦につく「若」の字は、舞台建築に若者組という伝統的青年組織が関わったことを記念するものです。
舞台両側の張出し部は出語りといい、上手(正面に向かって右側)は芝居の語り手の席、下手は寄付金を扱う会計係の席です。
舞台装置としては、直径三間(5.4m)の回り舞台、スッポン(せり上がり)のある花道、高所作業用の簀子(すのこ)等、歌舞伎芝居のために必要なものはほとんど備えています。
見どころポイント!
瓦の「若」の文字は、舞台の建築に若者組が関わったことを示しています。
建物地下の奈落は、回り舞台を回すための空間です。

 

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