散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

試し撮りで近くを回る(5)

洗足池を更に半周した後、今は唯一の水源になっている清水窪湧水を目指した。

清水窪湧水を遡る
とりあえず、地上に出ている部分をたどる
清水窪湧水を遡る_1
清水窪湧水を遡る_2
清水窪湧水を遡る_3
清水窪湧水を遡る_4
清水窪湧水を遡る_5
清水窪湧水を遡る_6
清水窪湧水を遡る_7
この辺にはアメンボがいっぱい
清水窪湧水を遡る_8
清水窪湧水を遡る_9
清水窪湧水を遡る_10

この先は大岡山駅方面へ上り坂になる。流れは暗渠になっているようだ。ということで、この部分は省略。

清水窪跨線橋
ここをどういうふうに水を通しているのだろうか。空中を水の管が渡してある感じは無い
清水窪跨線橋_1
考えていたら電車がやってきた。目黒線経由の三田線の電車だった。
清水窪跨線橋_2
清水窪跨線橋_3
清水窪湧水
少し道を間違えたが、何とか断念せずに到着。細い階段を下る。
清水窪湧水_1
赤い手すりの奥に湧水が流れている。『東京の名湧水57選』の表示があった。百選を数えるほどには存在しないということなのだろうか。
清水窪湧水_2
チョロチョロしか流れていないようにみえるかもしれない。そうだとすると私の腕が未熟だからだ。結構な湧出量で、音もそれなりに派手だった。少なくとも、等々力の滝とは比べ物にならないくらいのように見えた。ここが国分寺崖線の最も端になるのだろうか。
清水窪湧水_3
清水窪湧水_4
清水窪湧水_5
清水窪湧水_6
清水窪湧水_7
清水窪湧水_8
この湧水が下流の洗足池に流れ込んでいる。昔は、湧水はいくらでもあったようだが、今は唯一生きている湧水のようだ。池の水の色を見ると、鉄分を含有しているような色合いだ。
清水窪湧水_9
清水窪湧水_10

帰り道
大岡山駅前
東工大
東工大_1
東工大_2
東急病院
東急病院_1
東急病院_2
駅前の花壇
駅前の花壇_1
駅前の花壇_2
鉄飛坂帝釈堂
『てっぴざかたいしゃくどう』と読ませる。
鉄飛坂帝釈堂_1
鉄飛坂帝釈堂_2
鉄飛坂帝釈堂_3
洗足池でも思ったことだが、『ほりの内』って、どこのことだろう?杉並区にある『堀之内妙法寺』のことかなあ。だとすると、早足の人でもゆうに3時間はかかるぞ。かつての碑衾村は日蓮宗の勢力範囲だったようだ。
鉄飛坂帝釈堂_4
鉄飛坂帝釈堂_5
鉄飛坂帝釈堂_6
鉄飛坂帝釈堂_7
鉄飛坂帝釈堂_8
坂上左手の平町二丁目18-13にある。
境内には計6基の庚申塔が存在するが、この内堂内に安置されている4基は昭和57年2月4日に鉄飛坂庚申塔群として区の有形文化財に指定されている。3基は板碑型で、延宝8年(1680年)、貞享2年(1685年)、天保13年(1837年)のものがある。1基は柱型で、明治14年(1881年)に造られ、題目と帝釈天が彫られている。
堂外の2基は入って左手に縦に置かれている。前の1基は青面金剛が彫られており、後ろの1基は文化7年(1810年)2月建立で、「左ハ池上 右ハほりの内」と書かれており、道標の役目も果たしていた。


試し撮りに関しては、被写体が比較的近い範囲にあるときには、結構使い勝手が良さそうに思えたというのが今回の感想。もう少し使い込んでみたいが機会があるだろうか。

以上で、『試し撮りで近くを回る』のミニシリーズは終了です。最後までご覧頂きありがとうございました。

 

試し撮りで近くを回る(4)

袈裟懸けの松
日蓮上人が池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千足池の畔で休息し傍らの松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったと伝えられる。その伝説の『袈裟懸けの松』を見るべく、妙福寺(御松庵)の山門をくぐった。なかなか落ち着いた佇まいだ。
山門の辺り
山門の辺り_1
山門の辺り_2
山門の辺り_3
山門の辺り_4
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい_1
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい_2
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい_3
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい_4
境内は狭いながらも落ち着いた佇まい_5
子育て観音
子育て観音
馬頭観世音供養塔
馬頭観世音供養塔_1
『北 碑文谷・堀之内道』とある。この内、碑文谷は私が住んでいる近くである。ここには天台宗の名刹『円融寺』があるが、江戸幕府に睨まれるまでは、『法華寺』と呼ばれた有力な寺だった。これを指すのだろう。堀之内とは杉並の堀之内妙法寺のことを指すのではなかろうか。
馬頭観世音供養塔_2
袈裟懸けの松
袈裟懸けの松_1
真後ろには池とボートハウスとがある。お分かりいただけるだろうか。
袈裟懸けの松_2
袈裟懸けの松_3
袈裟懸けの松_4
袈裟懸けの松_5
袈裟懸けの松_6
袈裟懸けの松_7
袈裟懸けの松_8
堂宇
堂宇
こんなものもあった
こんなものもあった_1
こんなものもあった_2
祖師堂(旧七面大明神堂)
祖師堂(旧七面大明神堂)_1
祖師堂(旧七面大明神堂)_2
祖師堂(旧七面大明神堂)_3
祖師堂(旧七面大明神堂)_4
祖師堂(旧七面大明神堂)_5
祖師堂(旧七面大明神堂)_6

弘安5年9月(1282年)日蓮上人が身延山から常陸国(茨城県)に湯治に向かう途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館(池上本門寺)を訪れる前、千足池の畔で休息し傍らの松に袈裟をかけ池の水で足を洗ったと伝えられる、この言い伝えから、この松を袈裟掛けの松と称することになり、また千足池を洗足池とも称されるようになったといわれる。
天保期(1830~1843年)の「嘉陵紀行」によれば、初代の袈裟掛けの松は「枝4面におおい長さ幹囲み合がかり、高さ5丈あり」あったと記されている。
なお現在ある松は3代目であると伝えられる。

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当寺は千束池の池畔にある御松庵に、浅草永住町(台東区元浅草)にあった妙福寺が移ってきて合併した寺である。
御松庵は日蓮に関する伝説がもとになって成立した草庵で、日蓮が弘安5年(1282)に身延山(山梨県)から常陸国の温泉に向う途中、日蓮に帰依していた池上宗仲の館に立寄るため、千束の池にさしかかったとき、池のほとりで休息をし、かたわらの老松に法衣をかけて、池の水で手足を洗った。このとき水中から七面天女が出現した。身延七面山頂の湖水にいて、日蓮が身延在山中守護していたが、日蓮が旅立ちをしたのでこれについて道中守護をしてきた旨を告げ、日蓮の読経を受けて消え失せた。その後、このことを記念して、土地の人達が、堂宇を立てて七面天女を安置したのが、御松庵のはじまりであるという。法衣をかけた袈裟掛の松を護る護松堂が建てられ、この堂名から御松庵と呼ばれるようになった。
また日蓮が足を洗ったので、この池を洗足池と呼ぶようになったといわれている。

 

試し撮りで近くを回る(3)

洗足池(3)
水生植物園付近
こちらにもハンゲショウやミソハギが
こちらにもハンゲショウやミソハギが_1
この時はマニュアルでピントを合わせる方法を知らなかった。そういうスイッチが有るのだと思い込んでいたが。ソフト的に制御するのか。う~~ん。
こちらにもハンゲショウやミソハギが_2
こちらにもハンゲショウやミソハギが_3
こちらにもハンゲショウやミソハギが_4
アサザかな?
何故花が咲かないのだろうか?
アサザかな?
ヤブカンゾウかな?
ヤブカンゾウかな?
こんなふうになっている
こんなふうになっている_1
こんなふうになっている_2
マガモかな?
マガモかな?_1
マガモかな?_2
トンボも居たけど
動きが早くてホールドできず。何のトンボか不明。
トンボも居たけど_1
トンボも居たけど_2
トンボも居たけど_3
トンボも居たけど_4
トンボも居たけど_5
トンボも居たけど_6
西郷隆盛の墓
西郷隆盛留魂祠
西郷隆盛留魂祠
あまりに達筆すぎるのと、石碑の材質が見難くしているのとで、解読する気が失せた。私の力では、どう足掻いても部分的にしか読めないと思う。
明治12年(1879年)、戦死した西郷隆盛(1827年から1877年)を悼み、勝海舟が私費で建てた碑です。大正2年(1913年)に現在地に移設されました。
留魂碑_1
留魂碑_2
徳富蘇峰の詩碑
錦旆(きんぱい)とは、錦の御旗のことをいうそうだ。徳富蘇峰は西郷隆盛並びに勝海舟の指導力を高く評価していたようだ。碑文は以下のとおりだと思う。『浅学』だとする人もおられたが、私は『後学』だと思う。
堂々錦旆壓関東 百万死生談笑中 群小不知天下計 千秋相對両英雄
火國後學 蘇峯菅原正敬

徳富蘇峰の詩碑

『江戸無血開城と「西郷、勝会見之地」碑』記事のページヘjump

勝海舟の墓
夫妻の墓とされているが、実はここには既に遺骨はないそうだ。勝手気ままを通し過ぎて、遂には夫人に愛想を尽かされたのだろうか。
勝海舟の墓
かつては、池のほとりに勝海舟晩年の邸宅「千束軒」があったが戦災で焼失。現在は勝夫妻の墓が残り、大田区の文化財に指定されている。幕末、勝は江戸総攻撃中止と江戸城無血開城を西郷隆盛に直談判するため、官軍の薩摩勢が本陣をおいた池上本門寺へ向かう途中、洗足池のほとりで休息した。明治維新後、池の風光明媚を愛した勝が移住し、西郷もここを訪ねて勝と歓談したと言う。勝夫妻の墓の隣に「西郷隆盛留魂碑」が建つ。これは、西郷が西南役に倒れた後、当時の東京府南葛飾郡の浄光院境内に勝が自費で建てたもの。1913年(大正2年)に荒川放水路開鑿に伴い、当地に移建された。
近くに咲いていた花
盛りを過ぎたものが多かった。残念。
近くに咲いていた花_1
近くに咲いていた花_2
近くに咲いていた花_3
近くに咲いていた花_4

 

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