散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(6)

目青不動
世田谷線三軒茶屋駅のすぐそばに、江戸五色不動の一つとされた目青不動がある。存在は知っていたが、世田谷線の車内から確認できたので、帰途に立ち寄った。
白は黒に倣って作られ、赤青黄はあることはあったというくらいの存在のようにみえる。

目青不動_1
目青不動_2
目青不動_3
目青不動_4
『閻王殿』ということは、お閻魔さまのお堂なのかな。そして、『元三大師』を祀ってあるのか。『師』の字が隠れてしまっていて、一瞬、大三元かと思ってしまった。(^_^;)
目青不動_5
ちらと見えているのは本尊の不動明王像ではなく、前立の青銅製不動明王像だろうか。
目青不動_6
最勝寺は東京都世田谷区太子堂にある天台宗の寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称「教学院」、正式名称は「竹園山最勝寺教学院」。「目青不動」の通称でも知られる。
札所本尊は、明治15年(1882年)に廃寺とされた観行寺(正善寺とも)の本尊であった不動明王像。伝承では円仁(慈覚大師)の作という。江戸五色不動の1つの目青不動である。秘仏であり公開されていない。前立ちの青銅製不動明王像は寛永19年(1642年)の作である。

東急世田谷線
目青不動を通る東急世田谷線
三軒茶屋駅の直ぐそばだ
東急世田谷線_1
ついでなので、他の色の車体も
結構、カラフルだ
東急世田谷線_2
東急世田谷線_3
東急世田谷線_4
東急世田谷線_5
車内の様子なども
安くてお得。市民の足なんだろう。
東急世田谷線_6
東急世田谷線_7
東急世田谷線_8
東急世田谷線_4
三軒茶屋のランドマークキャロットタワー
三軒茶屋のランドマークキャロットタワー
三軒茶屋駅前にあった映画館
解体工事に入っていたので、もう既にこのような外観は残っていないかもしれない。時代を感じさせる建物だ。表記が右から始まるものだから、相当に古いものなんだろう。
三軒茶屋駅前にあった映画館

田園都市線に乗り換え、隣の駒沢大学駅で下車。桜新町駅方向に歩き、駒沢給水塔を目指す。これが大失敗。桜新町駅から往復したほうがはるかに距離が短くて済むし、道もわかりやすい。
世田谷区は、本当に道がわかりにくく、今回も相当回数、道を間違えてしまった。


駒沢給水塔
最初は居間の渋谷区の一部(当時の渋谷町)に給水するための施設だったのか。渋谷町が大きく発展することを見越しての建設だったのだろう。先見の明があったというべきかもしれない。
障害物が多くて、遂には敷地の外周を一周し、迷子にまでなってしまった。

駒沢給水塔_1
駒沢給水塔_2
駒沢給水塔_3
駒沢給水塔_4
駒沢給水塔_5
仕方がないので以下2点は、free画像を借用
駒沢給水塔_6
駒沢給水塔_6
駒沢給水所は、東京都世田谷区弦巻にある東京都水道局の給水施設。旧渋谷町町営の給水所として使われていた。敷地内には、2002年12月に世田谷区の第一回地域風景資産に選定された駒沢給水塔がある。
独特の意匠と、街のシンボルとして地域住民に愛されていることが評価され、平成24年度の公益社団法人・土木学会の土木学会選奨土木遺産に選ばれた。時期は未定だが耐震性が確認された給水所は外観を変えずに補修し、傷みの激しいポンプ所や配管を更新して再び地域の給水拠点として整備する。世田谷区地域風景遺産にも認定されている。


詳しい解説があるHPへjump

以上で、『代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔』シリーズは、終了です。最後までご覧頂きありがとうございました。

 

代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(5)

豪徳寺をあとにして、歩いて松陰神社に向かう

勝國寺
旧御朱印寺と書かれてあった。徳川家康寄進状、徳川将軍朱印状がある寺ということだろうか。御朱印帳に書き認めてくれる寺という意味ではなさそうだ。
勝国寺は、吉良政忠(法号勝国寺照岳道旭)が開基となり、世田谷城の裏手鬼門除けとして丸香山薬師院と号しと創建。吉良家滅亡後も江戸幕府から12石の朱印状を与えられた御朱印寺として栄え、末寺6ヶ寺を擁した小本寺だったようだ。

勝國寺_1
勝國寺_2
勝國寺_3
勝國寺_4
世田谷区役所本庁舎
威風堂々たる庁舎だが、近々改築実施の方向で検討が進んでいるようだ。あの前川國男氏の設計作品なのか。日本建築学会関東支部から保存要望書が提出されているようだ。
世田谷区役所本庁舎_1
世田谷区役所本庁舎_2
世田谷区役所本庁舎_3
区役所の向かいは国士舘大学
区役所の向かいは国士舘大学
松陰神社
吉田松陰を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺である豪徳寺は歩いてもさほどかからない距離にある。私も豪徳寺から歩いてきた。
昭和のはじめに社殿が大修理され、府社に昇格しているようだ。長州閥お手盛りの扱いだなあ。吉田松陰には申し訳ないが、再訪しようという気は全く起こらない印象だった。

松陰神社_1
松陰神社_2
拝殿と石灯籠
旧藩主や松陰の門下生であった明治新政府の重鎮たちが奉献したものがズラリと並ぶ
拝殿と石灯籠_1
拝殿と石灯籠_2
吉田松陰の墓
吉田松陰の墓_1
吉田松陰の墓_2
吉田松陰の墓_3
吉田寅次郎藤原矩方墓…松陰は号で、名前は矩方(のりかた)。通称は寅次郎と呼ばれていたようだ。
吉田松陰の墓_4
吉田松陰像
肖像画ほどは尖ってはいないようだ
吉田松陰像

吉田松陰の墓がある松陰神社は、豪徳寺から直線距離で700mほどの所にあります。この一角は江戸時代、大夫山(だいぶやま)あるいは長州山と呼ばれていました。これは、寛文12年(1672)、萩藩第2代藩主、毛利大膳大夫綱広が在府の折に同藩が若林村の百姓からこの地を購入して抱屋敷としたことによります。安政の大獄で死罪となった吉田松陰の遺骸は、当初、小塚原の回向院(かいこういん)に葬られましたが、文久3年(1863)正月に、高杉晋作、伊藤博文らの手により、この地に改葬されました。元治元年(1864)に禁門の変が起きると、幕府は長州に征伐軍を送り、若林村の抱屋敷は没収され、松陰の墓も破壊されました。しかし、その4年後には明治維新となり、明治元年(1868)、藩命を受けた木戸孝允が新たに墓碑を立て、明治15年(1882)には、毛利元徳や松陰の門人達が墓畔に社を築いてその霊を祀り、松陰神社となりました。

 

代官屋敷~豪徳寺~松陰神社~目青不動~駒沢給水塔(4)

豪徳寺(2)
豪徳寺赤門
この武家屋敷門はいいなあ。こういうのが私の好みだ。
井伊家の江戸屋敷の門と伝わり、現在は仏殿の裏に移築されていますが、以前は東門の位置にあり、中雀門と呼ばれていたそうです。
豪徳寺赤門_1
豪徳寺赤門_2
こちらは招福殿
超有名なスポットだ。ホコっとしてしまう。
招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。
豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。

招福殿_1
招福殿_2
招福殿_3
招福殿_4
招福殿_5
『如是畜生 慈善提心』と書かれてあるのかな
招福殿_6
招福殿_7
招福殿_8
招福殿_9
井伊家墓所
さすが譜代大名序列第1位の井伊家の墓所だけある。立派なものだ。
彦根藩主井伊家墓所は、清凉寺(滋賀県彦根市)・永源寺(東近江市)の墓所と共に国の史跡に指定されている。また、井伊直弼の墓は東京都指定史跡に指定されている。
井伊家墓所_1
井伊家墓所_2
井伊家墓所_3
井伊直弼の墓
墓石の文字が肉眼では読みにくかったので、写真を拡大して判読してみた。一字だけ自信がなく、検索したら皆同じ読み方。凄いなと思ったら、何の事はない。入口のところにあった東京都の説明に記載されていた。が、訂正した跡がある。やはり専門家でも判読は困難だったようである。
『宗観院殿伝正四位上前羽林中郎将柳暁覚翁大居士』と書かれてあるそうだ。実に長い。そのようにしなさいという遺言があったのだろうか。必然的に小さな文字の羅列になっている。私が読むことが出来なかった文字は、後半の『暁』の字。

井伊直弼の墓_1
井伊直弼の墓_2
井伊直弼の墓_3
これを拡大して一生懸命に読んでみた
井伊直弼の墓_4
井伊直弼の墓_5
山門前の参道松並木
頭を垂れているかのようだ
山門前の参道松並木_1
山門前の参道松並木_2

 

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