散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

次大夫堀公園民家園~岡本公園民家園~岡本静嘉堂文庫(10)

岡本静嘉堂文庫(2)
岩崎家の玉川廟に向かうべく、階段をあがる
結構キツイ。先程から岡本八幡神社の階段などを上ってきたので、少しばかり堪える。
岩崎家の玉川廟に向かうべく、階段をあがる_1
岩崎家の玉川廟に向かうべく、階段をあがる_2
階段を上がった先には立派な灯籠が一対
階段を上がった先には立派な灯籠が一対_1
階段を上がった先には立派な灯籠が一対_2
階段を上がった先には立派な灯籠が一対_3
そしてちょっとした広場が
そこで休むと里心がつくので、休まずに先に進む
そしてちょっとした広場が_1
そしてちょっとした広場が_2
そしてちょっとした広場が_3
小休止用に用意されたアイテムだろうか
そしてちょっとした広場が_4
そしてちょっとした広場が_5
そしてちょっとした広場が_6
暫く行くと、石碑があった
『男爵岩崎君墓碑』と書いてあるようだった。岩崎弥太郎の実弟である2代目社長彌之助(弥之助)に関わるもののようだ。彌之助は男爵止まりだったのか。う~~ん。
暫く行くと、石碑があった
そして、灯籠が
ここにも灯籠が一対。縁の人が建てたのだろう。
そして、灯籠が_1
そして、灯籠が_2
正面等からの様子
墓所に到着だ。日本近代建築の父であるジョサイア・コンドル氏の設計なのか。すごいものがあったものだ。
正面等からの様子_1
正面等からの様子_2
正面等からの様子_3
正面等からの様子_4
正面等からの様子_5
正面等からの様子_6
更に行くと美術館の前に出る
最初に書いたように大規模工事中で足止め中だった。その辺りの植え込みが何とも言えず、きれいな感じなのだが、近づかないことには、…。
更に行くと美術館の前に出る_1
更に行くと美術館の前に出る_2

静嘉堂文庫や美術館がある広場から南の林を抜けると岩崎家の玉川廟があります。この丘全体が岩崎家所有の土地だったので、まるで岩崎家の古墳というか、王家の丘ならず財閥の丘って感じですね。こういった事ができるのもさすがと言うべきなのでしょうが、この玉川廟も文庫同様に凝った造りをしています。建設は明治43年(1910年)で、文庫と同様に小弥太氏が父、弥之助氏の墓として建てたものです。こちらの設計は日本近代建築の父であるジョサイア・コンドル氏が行いました。J・コンドル氏とは鹿鳴館の設計者としてよく知られている人物で、岩崎家との結びつきも強く、茅町本邸(1896年、重要文化財)、深川邸洋館(1889年、現存せず)、高輪邸(1908年、現三菱開東閣)なども手がけています。そういった著名な建築家がお墓を設計したのでこんなに豪勢になってしまったのか、とにかく豪勢にしてくれというような要望があったのかは知りませんが、庶民との格の違いを感じてしまいます。ちなみにJ・コンドル氏は駿河台のニコライ堂も建築しているので、そういった視線から見るとどことなく共通点も見いだせるかもしれません。それとこの廟の横には枝垂れ桜があり、春にはピンクの美しいアクセントが加わり、廟の周りにはあじさいが植えられているので、梅雨の時期に彩り鮮やかな花で囲まれ、秋にはもみじが彩りを添えます。

二子玉川駅までの道
急ぐわけでもなく、きれいな住宅街が続くので、ミニバスには乗らず、歩いて帰ることにした。高級住宅街だ。『金妻』の街なんだ。
二子玉川駅までの道_1
二子玉川駅までの道_2
二子玉川駅までの道_3
二子玉川駅までの道_4
二子玉川駅までの道_5
二子玉川駅までの道_6

以上で、『次大夫堀公園民家園~岡本公園民家園~岡本静嘉堂文庫』シリーズは終了です。最後までご覧頂き大変有り難うございました。

 

次大夫堀公園民家園~岡本公園民家園~岡本静嘉堂文庫(9)

岡本公園民家園をあとにして、付近を歩く

岡本八幡神社
岡本公園民家園の旧横尾家住宅椀木門を出て、すぐのところにある鳥居をくぐり、長い石段を上る。そうすると見えてきた社屋。岡本八幡神社の創建年代は不詳らしいが、新編武蔵風土記稿には岡本村に記載されている神社がこの神社のみで、岡本村の開村当時からの鎮守社であったと考えられるとのこと。
鳥居の近くには、松任谷正隆・由実夫妻が寄付した灯籠があるとのことだが、全く気づかなかった。よく見ると、ちゃんと写っていた。

岡本八幡神社_1
岡本八幡神社_2
岡本八幡神社_3
岡本八幡神社_4
岡本八幡神社_5

岡本静嘉堂文庫(1)
岡本八幡神社から左斜め前方に降りる道がある。その辺りに岡本静嘉堂文庫の裏口があった。何やら大規模な修復工事中のようだが、入ってはいけないと書かれてはいなかったのでダメ元で入ってみた。
裏口から入ってみる
裏口から入ってみる_1
裏口から入ってみる_2
裏口から入ってみる_3
由緒ありそうな建物が見えてきた
これが静嘉堂文庫の建物だ。堂々たる佇まいだ。1924年築だそうだ。美術館の方は入館料を支払えば、だれでも入館可能なようだが、この文庫の方は、和漢の古典籍を保存し、永く後世に伝えることを使命として活動している専門図書館。そのため、利用には所定の手続きが必要となるそうだ。平たくいえば、一般の方はお断りとのこと。
多分、見てもちんぷんかんぷんの内容のようで、残念と思う気持ちも起きなかった。

由緒ありそうな建物が見えてきた_1
由緒ありそうな建物が見えてきた_2
由緒ありそうな建物が見えてきた_3
由緒ありそうな建物が見えてきた_4
由緒ありそうな建物が見えてきた_5
美術館は秋まで休館中
私でも入ることができるはずの美術館が向かって右側にあった。国宝、重文がズラリの展示内容なのだそうだが、工事中で秋まで休館中。残念。
文庫の関係者には工事中なので気をつけて回るようにとだけ言われた。この状態では、左側の道を下るしか選択肢はない。

美術館は秋まで休館中
長い長い下り坂を下る
反対だとつらいつらい上り坂だ。お金持ちの世界は大変なものだ。下り坂は浮世離れした気持ちのよい坂だった。
長い長い下り坂を下る_1
長い長い下り坂を下る_2
長い長い下り坂を下る_3
長い長い下り坂を下る_4
谷戸川を渡る
谷戸川を渡る_1
谷戸川を渡る_2
案内図を見る
どうも納骨堂に上っていけそうだとわかった。かなり長い坂を降ってきたが、目指すはこんもりした小山。ちょっと厳しそうだと覚悟しながら登ってみることにする。
案内図を見る
少しだけ入るとこんな表示が
国分寺崖線の説明だ。う~~ん、国分寺崖線では金蘭も観察できるのか。ここは薄暗くてダメなようだが。
国分寺崖線の説明だ
初っ端からこんな感じ
初っ端からこんな感じ
またも表示板が
生物の森は通常は立入禁止のようだ
生物の森は通常は立入禁止のようだ
いよいよ先に進む橋を渡ろうとするとカルガモがいた
岩の近くに1羽だけかと思ったのだが、岩などはなく、3羽がごく近くにいたようだ。国分寺崖線は湧水が豊富なようだ。その割には、等々力渓谷は寂しかったが。
橋を渡ろうとするとカルガモが_1
橋を渡ろうとするとカルガモが_2
橋を渡ろうとするとカルガモが_3

静嘉堂文庫(せいかどうぶんこ)は、東京都世田谷区岡本にある専門図書館及び美術館。日本および東洋の古典籍及び古美術品を収蔵する。三菱財閥の第2代総帥岩崎弥之助(号・静嘉堂)・第4代総帥岩崎小弥太父子の所有した庭園と遺品の古典籍・古美術コレクションを基礎として発足した財団法人静嘉堂の運営で、東京都世田谷区岡本の岡本静嘉堂緑地にある。
数多くの貴重な古典籍と古美術品を収蔵しており内外の古典籍を研究者向けに公開する私立の専門図書館であると同時に、併設する静嘉堂文庫美術館を通じて収蔵品を広く一般に公開する美術館活動を行っている。事業主体は、公益財団法人静嘉堂。


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次大夫堀公園民家園~岡本公園民家園~岡本静嘉堂文庫(8)

岡本公園民家園
2番目の目的地の岡本公園民家園を尋ねる。ここは、敷地の広さが十分ではなく、割とすぐ見終えてしまう感じだった。最初につくった世田谷区立の民家園だったので、力の入れ具合がよくわからなかったのだろうか。
昭和55年12月に開園した岡本公園民家園は区の有形文化財第1号に指定され、旧長崎家主屋と土蔵1棟、椀木門を復元し、江戸後期の典型的な農家の家屋を再現しています。昭和63年11月に開園した次大夫堀公園民家園同様、生きている古民家」をテーマに、囲炉裏には毎日火が焚かれ、家の中や軒下には民具が置かれています。
岡本公園民家園入口
岡本公園民家園入口
旧長崎家住宅
世田谷区指定有形文化財第1号の旧長崎家住宅か。昭和52年8月9日指定というから、そんなに古い指定ではない。区指定有形文化財制度がそんなに歴史のある制度ではないのかもしれない。建物は堂々たる風格のものだったが。
旧長崎家住宅_1
旧長崎家住宅_2
旧長崎家住宅_3
旧長崎家住宅_4
草鞋を掛けてある機械は筵編み装置だろうか。調べてみたら、ビンゴ。莚機(むしろばた)と呼ぶものらしい。
気になって写真を拡大してみたら、『筵織機』という表示が為されていた。草鞋も『足半』とか『馬用』とか色々あったようだ。更にぶら下げてあるものには『鳶口』やら『肥掻き』やら。『肥掻き』は余り見たくもないシロモノだ。

旧長崎家住宅_5
旧長崎家住宅_6
旧長崎家住宅_7
旧長崎家住宅_8
居間の端に据えられた流し。『すわり流し』というものだったと記憶している。土間で『立ちっぱなしの流しよりは楽かもしれないが、板の間への正座も案外きついかも。そして、窓は『無双窓』というのだった。こちらは覚えていなかったので、川崎市立日本民家園の伊藤家住宅の記述を参照した。向こうは国指定の重要文化財だぞ。世田谷区も、ほぼ同年代の住宅で、保存程度も同じようなものだ。負けてはいられないのでは。
旧長崎家住宅_9
神棚は附指定のようだ。附指定するほど、なにか特別なものがあるのかなあ。
旧長崎家住宅_10
仏壇の隣は床の間の前身である押板かなあ。う~~ん、ますますよく見えてきたぞ。
旧長崎家住宅_11
旧長崎家住宅_12
旧長崎家住宅_13
『糸枠』という札が掛けられていた。こんな大きな糸枠があったんだ。何に使ったのだろう?
旧長崎家住宅_14
旧長崎家住宅_15
旧長崎家住宅_16
旧長崎家住宅_17
旧長崎家住宅_18
旧長崎家住宅_19
旧長崎家住宅 (きゅうながさきけじゅうたく)
世田谷区指定有形文化財(建造物)
昭和52年8月9日指定
江戸時代
桁行6.5間(11.8m)、梁間4間(7.2m)、寄棟造、茅葺
附 神棚、縁台 文久3年、沓脱ぎ石
区指定有形文化財第1号の旧長崎家住宅は、瀬田にあった長崎家屋敷の主屋を移築したものです。
創建は18世紀末頃と考えられています。当初の間取りは広間型であったと推測され、その後、19世紀初期頃に喰違い四ッ間型に改修されました。

旧浦野家土蔵
土蔵内部は、調査中とかで立入りが禁じられていた。仕方がない。
旧浦野家土蔵_1
旧浦野家土蔵_2
旧浦野家土蔵_3
旧浦野家土蔵_4
軒下に田舟が置いてあった。何に使ったのだろうか。蓴菜沼でもあれば別なのだが。田んぼの脇の水路に浮かべて、苗や稲、農具などを運搬する舟だったそうだ。なるほどねえ。
旧浦野家土蔵_5
旧浦野家土蔵 (きゅううらのけどぞう)
世田谷区指定有形民俗文化財
昭和56年4月22日指定
江戸時代
桁行3間(5.4m)、梁間2.5間(4.5m)、土蔵造、切妻造、瓦葺
この土蔵は、喜多見にある浦野家の屋敷に建っていた外倉でした。浦野家では、嘉永~安政年間(1848~58)頃、菜種油や木炭などを販売していました。商売をはじめたこの頃に土蔵を建てたと伝えられています。
外倉は明治初年頃まで店としてつかい、その後は小作米を収納する穀倉にし、戦時中は軍用物資の倉庫になったといわれています。戦後はアパ-トとしても使われたことがありました。このように生業や社会の変化に伴って使い続けられたことから、区指定有形民俗文化財第1号に指定されました。

旧横尾家住宅椀木(うでぎ)門
大正13年に建てられたものとのこと。この頃のものだと、民家園の雰囲気に辛うじて馴染む感じかなあ。
旧横尾家住宅椀木(うでぎ)門_1
旧横尾家住宅椀木(うでぎ)門_2
岡本公園手前の堀
水草は、アサザかな?それともコウホネかな?国分寺崖線の湧水が水源になっているのか、気持ちよさそうに鯉が泳いでいるし、花も咲いていた。
岡本公園手前の堀_1
岡本公園手前の堀_2
岡本公園手前の堀_3
岡本公園手前の堀_4
岡本公園手前の堀_5
岡本公園手前の堀_6

 

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