散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

葉山と浦賀(8)

浦賀
浦賀に行ったのは、『近代造船の先駆者たち ~浦賀と横須賀~』という講演会を聞きに行くのが目的だった。
造船所の建設から、船の建造に至るまでの間に活躍した多くの技術者たちの姿を浦賀のまちの発展の様子を交えながら紹介します。
講演会は非常に面白い内容だった。これはこれで大満足。そして、その後に、産業遺産の見学があったのだ。
ところが、こちらの撮影分はのWEBなどへ公開はしないでほしいという所有者の意向があり、せっかく撮影したデータが使用できない。
横須賀市の対応が一向に前進しないことを恨めしく思った次第だ。


他で撮った写真をいくつか取り上げる。

浦賀行政センターでの展示から
船番所の模型
浦賀奉行所の出先機関という位置づけになる。今で言えば、海上保安庁のような感じかな。船を陸に揚げたり海に浮かべたりをまめに行っていたので、長保ちしたようだ。そして、マメに修繕を繰り返しもしていたので、その後の浦賀における船舶建造及び船舶修理の下地が出来上がっていったようだ。
船番所の模型
干鰯問屋の模型
浦賀に繁栄をもたらせた干鰯。問屋にはこんな風にして保管されていたようだ。
干鰯問屋の模型_1
干鰯問屋の模型_2
幕末の西浦賀の街の模型
現在より、建物が密集している。私のイメージでは江戸の下町のような感じに見える。
幕末の西浦賀の街の模型_1
幕末の西浦賀の街の模型_2
幕末の西浦賀の街の模型_3
浦賀奉行所の模型
下田から移ってから幕府の大政奉還まで、かなり長いこと設置されていた。こちらを元の土地に復元し、ドライ・ドックを買収すれば、大変な観光遺産になるのだが。どちらも交渉相手は、住友重機械工業株式会社か。
浦賀奉行所の模型
日米の帆船
日米の帆船_1
日米の帆船_2
日米の帆船_3
FREE画像を借用した
鳳凰丸
辰巳忠志氏作の鏝絵
現役の鏝絵職人さんの作品だ
辰巳忠志氏作の鏝絵

敷地外から見た浦賀ドック
敷地外から見た様子。当然だが、遠いので様子ははっきりはわからない。
敷地外から見た浦賀ドック_1
敷地外から見た浦賀ドック_2
敷地外から見た浦賀ドック_3
敷地外から見た浦賀ドック_4

以上で『葉山と浦賀』シリーズは終了です。最後までご覧頂き、有り難うございました。

 

葉山と浦賀(7)

葉山(6)

海に向かって右側の眺め
江ノ島や葉山マリーナなどが見える
海に向かって右側の眺め_1
海に向かって右側の眺め_2
海に向かって右側の眺め_3
堀口大学の石碑
『花はいろ 人はこころ』…こころの最初の字は『古』の草書体。原典は『人に』という作品だそうだ。
花はいろ そして匂ひ
あなたはこころ
そして やさしさ

堀口大学の石碑
マリンスポーツは楽しそう
マリンスポーツは楽しそう_1
マリンスポーツは楽しそう_2
こちらは個人レッスン中
インストラクタの声が大きかった。私のところまで聞こえてきた。かなりの熱血指導ぶりだった。これなら数回程度で、独り立ちできそうに見えた。
こちらは個人レッスン中_1
こちらは個人レッスン中_2
こちらは個人レッスン中_3
こちらは個人レッスン中_4
こちらは個人レッスン中_5
こちらは個人レッスン中_6
こちらは個人レッスン中_7
こちらは個人レッスン中_8
こちらは個人レッスン中_9
こちらは個人レッスン中_10
こちらは個人レッスン中_11

本当はもっともっと歩きたいのだが、午後に浦賀での用事があるので、葉山の散歩はこれまでにした。今度は、もっとスッキリ晴れた日に来たいなあ。

 

葉山と浦賀(6)

葉山(5)

森戸神社を参拝することにする。鎌倉幕府公式の神社は鶴岡八幡宮で、こちらは、頼朝の私的な祈りの場だったのだろうか。
治承4年(1180年)、三嶋明神のご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の分霊を、鎌倉に近い葉山の地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられているそうだ。


森戸神社の拝殿
森戸神社の拝殿_1
森戸神社の拝殿_2
森戸神社の拝殿_3
森戸神社の拝殿_4
森戸神社の拝殿_5
総霊社
彫刻が見事なのに驚いた。写真では分かりづらくて申し訳ない。
総霊社_1
総霊社_2
水天宮
水天宮_1
水天宮_2
おせき稲荷社
古来より「せきが止まらない人」、「喉を使う職業の人」たちの、篤い信仰があるそうだ。気管支が弱い私は真剣に祈ったほうが良さそうだ。
おせき稲荷社_1
おせき稲荷社_2
千貫松
千貫松
神社裏手の磯辺の岩上に切り立つ松の木で、その枝ぶりは見事なものです。
源頼朝公が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩上の松を見て「如何にも珍しき松」と褒めたところ、出迎えの和田義盛は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言い伝えられています。

飛柏槇(ひびゃくしん)
飛柏槇(ひびゃくしん)_1
飛柏槇(ひびゃくしん)_2
元暦元年(1184年)、源頼朝公が当社を参拝の折、三島明神から飛来し発芽したものと伝えられ、当社の御神木となっています。
古木が海上に乗り出した姿は非常に珍しく、葉山町天然記念物にも指定されています。

森戸の夕照
相当に美しいようなのだが、午後からは浦賀に用事があったので、夕方まで粘るわけにはいかなかった。方角的には裕次郎灯台の方に夕日が沈む。近くに住んでいたことがあったのに、三浦半島西岸の日の入りは見たことがない。(^_^;)
森戸の夕照_1
森戸の夕照_2
森戸の夕照_3
裕次郎灯台と名島(なじま)
近いように見えるが700mも離れているのか。あそこまで泳いでいったら叱られるだろうか。
裕次郎灯台と名島(なじま)
森戸神社の磯辺より沖合い700メートルに浮かぶ小さな島が名島。赤い鳥居が目印。
名島には裕次郎灯台が建っている。夕陽によって茜色に照らし出される夕景は美しく、神奈川の景勝50選に選ばれている。
裕次郎さんの三回忌を記念して、兄の石原慎太郎さんが約1億円の基金を集めて建設した。灯台のプレートには「海の男 裕次郎に捧ぐ 葉山灯台」と刻まれている。
森戸神社の境内の磯辺近くにも石原裕次郎記念碑がたっている。

石原裕次郎記念碑
おおっ、高校の大先輩の記念碑があった。もう少しいい男にしなかったのはなぜだろう?
石原裕次郎記念碑
神社裏手の海岸入り口には、湘南で青春を過ごし、この地をこよなく愛した俳優、故石原裕次郎さんの記念碑。
石碑には裕次郎さんを偲ぶ文字が刻まれている。
『夢はとおく 白い帆に のって 消えていく 消えていく 水のかなたに』『太陽の季節に 実る 狂った果実たちの 先達 石原裕次郎を 偲んで』
遠くに裕次郎灯台が見える。

みそぎ橋
みそぎ橋
この森戸の海浜は、鎌倉時代に七瀬祓の霊所と定められ、事あるごとにお祓いやみそぎが行われたと「吾妻鏡」に記されている。
このような故事により、この海辺で「みそぎ」が盛んに行われ、神社から海辺に通じる橋を「みそぎ橋」と呼ぶようになったと言い伝えられている。

真名瀬海岸方面
あの次のところに御用邸などがある。そして、もう少し先には横須賀市との境に長者ヶ崎がある。
真名瀬海岸方面_1
真名瀬海岸方面_2
真名瀬海岸方面_3

今から約850年前の永暦元年(1160年)、平治の乱に敗れ伊豆に流された源頼朝公は、三嶋明神(現在の静岡県・三嶋大社)を深く信仰し源氏の再興を祈願しました。
治承4年(1180年)、そのご加護により旗挙げに成功し天下を治めた頼朝公は、鎌倉に拠るとすぐさま信仰する三嶋明神の御分霊を、鎌倉に近いこの葉山の聖地に歓請し、長く謝恩の誠をささげたと伝えられています。
「吾妻鏡」によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲などの武事を行ったといいます。
災厄が生じると加持祈祷が行われ、*七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記され、源氏はもとより鎌倉要人からも篤い信仰があり、特に三浦党の祈願所でもありました。
また、北条、足利諸氏の崇敬も篤く、天正19年(1591年)には徳川家康公より社領七石が寄進されました。
延宝2年(1674年)に徳川光圀公、明治25年(1892年)には英照皇太后陛下のご参拝を仰ぎました。

 

« »

03 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
メッセージボードα
Information from AzTak

3月3日(金)-4日(土)は、秋田県内を旅行中で、私からのアクセスはできなくなると思います。大変申し訳ありません。m(_ _)m

-- E N D --
.
.
プロフィール

AzTak

Author:AzTak
FC2ブログへようこそ!

定年後の時間たっぷりの輩です。写真撮影やプログラミングが趣味です。

当ブログは、リンクフリーです。

カテゴリ
フリーエリア
検索フォーム
QRコード
QR