散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

浅草寺~川治温泉~東武ワールドスクウェア(12)

だいぶ中断があったが、暫く振りに再開する。今回は東武ワールドスクウェアのヨーロッパ・ゾーンの建物の内のスペインの建物を取り上げる。

東武ワールドスクウェア(6)
ヨーロッパ・ゾーン(4)
カサ・ビセンス
バルセロナにあったのか。全く知らなかった。ガウディ作品らしいといえば、その通りの作品だと思う。
カサ・ビセンスはスペインのバルセロナにある、アントニ・ガウディが初期に手がけた重要な建築物の1つ。レンガやタイル工場の社長であったマヌエル・ビセンスとその家族の住居として建設された。マヌエル・ビセンスは1895年に死去、1899年にはアントニオ・ジョベル医師の手に渡った(この人物は2013年現在の所有者の祖父)。改修および増築を経て、1969年にスペインの歴史芸術モニュメントに認定された。2005年にはユネスコの世界遺産に登録された。
1883年から1885年または1889年にかけて建設され、バルセロナのグラシア地区に現存している。このガウディの初期作品の外観はムデハル様式の影響を受けている。

カサ・ビセンス_1
こちらが本物…FREE画像を借用
カサ・ビセンス_2
グエル公園
これぞガウディの才能の発露とでも言うべき公園だと思う。
グエル公園(カタルーニャ語:Parc Güell, 英語:Park Guell)は、スペインのバルセロナにある公園で、バルセロナの街が一望できる。1984年にユネスコの世界遺産に登録された。アントニ・ガウディの作品群の1つである。
施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエルとなる)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。彼らが最も傾注していた芸術はリヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、それに対してガウディとグエルはこの場所に、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる、新しい住宅地を作ろうとした。しかし、ふたりの進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時理解されなかった。結局、広場、道路などのインフラが作られ60軒が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエイ伯爵だけであったという。グエイ伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付される。現在はガウディが一時住んだこともある家が、ガウディ記念館として公開されている。中にはガウディがデザインした家具なども集められて展示されている。
グエル公園の入口に建つ門衛の小屋と東屋をみてサルバドール・ダリは「砂糖をまぶしたタルト菓子のようだ」と評した。「ギリシア劇場」と名付けられているテラス、大階段に鎮座する人気のトカゲ、敷地中央にあるホール天井の円形モザイク装飾等、粉砕タイルを使用してのデザインはガウディの助手ジュゼップ・マリア・ジュジョールの貢献が大きい。

グエル公園_1
グエル公園_2
こちらが本物…FREE画像を借用
グエル公園_4
アルハンブラ宮殿
残念ながら行ったことがない。一度はイスラム勢力に支配権を奪われ、それをレコンキスタでカトリック勢力が奪い返した曰く因縁のある宮殿であり、城塞でもある。
アルハンブラ宮殿_1
アルハンブラ宮殿_2
アルハンブラ宮殿_3
こちらが本物…以下3点はFREE画像を借用
アルハンブラ宮殿_4
アルハンブラ宮殿_5
アルハンブラ宮殿_6
サンタ・エウラリア大聖堂
せっかくのカテドラルなのに、市内にサグラダ・ファミリアがあり、そちらばかりが注目される。信徒には静かな祈りの場があって、有難いことなのかもしれない。とは言うものの、由緒ある大聖堂なのだ。
サンタ・クレウ・イ・サンタ・エウラリア大聖堂 (La Catedral de la Santa Creu i Santa Eulàlia)は、スペイン、バルセロナにあるカトリック教会の教会建築。バルセロナ市民からは単にラ・セウ(La Seu)と呼ばれる。バルセロナ大司教座が置かれている。
かつてこの場所には原始キリスト教の教会があった。この建物は西ゴート王国時代にも使われた。教会最古の遺跡部分は現在バルセロナ市歴史博物館に保存されている。986年、アル=マンスールによるバルセロナ占領で教会は破壊された。1058年、ロマネスク様式に立て替えられた。現在の建物はバルセロナ伯ジャウマ2世(アラゴン王としてはハイメ2世)時代の1298年に建設が始まり、およそ150年後に完成したゴシック様式建築である。聖十字架及びバルセロナの守護聖人である聖エウラリア(伝承によると、ディオクレティアヌス帝時代のキリスト教徒大迫害で殉教)に献堂された。聖エウラリアの遺骸は当時のバルセロナ司教フロドイによって地下納骨堂に埋葬された。ファサードは1888年のバルセロナ万博にそなえ改装されたネオゴシック様式である。本堂と回廊は完全に同じ様式で統一されている。最長部で90フィート、横が40フィートある。本堂と5つの側廊の高さが等しく、交差廊は先端が短い。大聖堂内の回廊では、13歳で殉教した聖エウラリア(es)にちなみ、13羽の白いガンが飼われている。

サンタ・エウラリア大聖堂_1
サンタ・エウラリア大聖堂_2
こちらが本物…FREE画像を借用
サンタ・エウラリア大聖堂_4
サグラダ・ファミリア
いまから45年前に見た時は、まだまだ工事中という感じだったが、最近では工事が進んでいるようだ。ガウディという建築家の類まれなる才能を強く強く感じたものだった。これだけは、バルセロナに出かけて本物を見ることをお勧めしたい。サグラダ・ファミリアはバシリカとなったものの、カテドラルは、サンタ・エウラリア大聖堂のままなのだろう。
サグラダ・ファミリア(カタルーニャ語: Sagrada Família)は、日本語に訳すると聖家族贖罪教会(カタルーニャ語: Temple Expiatori de la Sagrada Família)という正式名称を持つ、スペインのバルセロナにあるカトリック教会のバシリカである。日本語では聖家族教会と呼ばれることも多い。
サグラダ・ファミリアは、カタロニア・モダニズム建築の最も良く知られた作品例であり、カタロニアの建築家アントニ・ガウディの未完作品である。バルセロナ市のシンボルであるこの建物は、綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや、鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などで、大胆な建築様式を誇っている。2004年の統計によれば、サグラダ・ファミリアはアルハンブラ宮殿やマドリッドのプラド美術館を抜いてスペインで最も観光客を集めたモニュメントとなり、2008年には270万人を集めた。生前のガウディが実現できたのは地下聖堂と生誕のファサードなどであるが、これらは2005年にユネスコの世界遺産に登録された。 贖罪教会なので、作業の財政は喜捨に頼っている。そのために、別々の箇所を同時に建設することはできなかったのだが、1990年代以降は訪問者の流れと作品の世評の高まりが財政状況を好転させた。
2010年11月7日に教皇ベネディクト16世が訪れ、ミサを執り行い、聖堂に聖水を注いで聖別。サグラダ・ファミリアはバシリカとなった。ミサには司教達を含む6500人が参列し、800人の聖歌隊が参加した。

サグラダ・ファミリア_1
サグラダ・ファミリア_2
こちらが本物…FREE画像を借用
サグラダ・ファミリア_3

 

浅草寺~川治温泉~東武ワールドスクウェア(11)

東武ワールドスクウェア(5)
ヨーロッパ・ゾーン(3)


今回は、フランスのものを取りあげる。エッフェル塔と凱旋門とは、意識して撮らなかったので、あしからず。

シャンボール城
名前は知っていたが、行ってみたことがない。こんな感じだったのか。壮麗な城だ。終了後屋が始まりだったのか。かつてのフランス国王の権勢の程を思い知らされる。大きすぎて、持て余したのだろうか。所有者も次々に変わっていったようだ。
シャンボール城(Château de Chambord)はフランスロワール=エ=シェール県のシャンボールにある城。ロワール渓谷に点在する城のうち、最大の広さを持つ。フランス王フランソワ1世のために建てられた。
どうにもNYの建物が目障りだ。失敗の構図だった。
シャンボール城_1
シャンボール城_2
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シャンボール城_3

ヴェルサイユ宮殿
誰もが魅了される美しい宮殿と庭園とだろう。あまりに大きく、私には全体像がつかめないでいた。今回見ても、まだ、理解できないほどだ。私のイメージ構成力が無さすぎるのだろう。
ヴェルサイユ宮殿(仏語:Château de Versailles)は、1682年にフランス王ルイ14世が建てたフランスの宮殿(建設当初は離宮)である。
パリの南西22キロに位置する、イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はアンドレ・ル・ノートルによって造営された。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名である。

ヴェルサイユ宮殿_1
ヴェルサイユ宮殿_2
ヴェルサイユ宮殿_3
ヴェルサイユ宮殿_4
ヴェルサイユ宮殿_5
ヴェルサイユ宮殿_6
ヴェルサイユ宮殿_7
ヴェルサイユ宮殿_8
ヴェルサイユ宮殿_9
ヴェルサイユ宮殿_10
ヴェルサイユ宮殿_11
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ヴェルサイユ宮殿_12

サクレクール大聖堂
サクレクールと名がつく聖堂はかなりの数にのぼる。最も著名なのが、パリにあるこの聖堂だろう。情けない話だが、比較的短い歴史を刻んだに過ぎない明るい感じの大聖堂という印象しか残っていない。
モンマルトルのサクレ・クール大聖堂 (Basilique du Sacré-Cœur de Montmartre) はフランスのパリ市内モンマルトルの丘の頂にそびえる教会堂。ロマネスク様式・ビザンティン様式のバジリカ大聖堂。ギベール・パリ大司教が計画を提唱し、アバディが設計を担当した。1889年にいち早く完成していたエッフェル塔と共にパリ市内を見晴らせる観光名所で、両建造物とも19世紀後半に構想された比較的新しいものであるにも関わらず、今やパリになくてはならない存在になっている。
第三共和政の憲法が発布された1875年に、フランスの新しい政体の門出を祝う意味合いを籠めて、政府による直接的な支援を受けて建設がはじまった。当時は普仏戦争とそれに続くパリ・コミューンによって命を失ったフランス市民を讃える公共建造物としても考えられていたが、年月が過ぎるにつれてその位置づけが自ずと変容してしまう。実際に着工したのは1877年で、約4000万フランの費用と40年の歳月をかけ、1914年に完成したものの、礼拝のために開放されたのは第一次世界大戦の終わり、1919年のことであった故に、この大聖堂は皮肉にも普仏戦争以来のドイツに対する復讐の象徴として多くのフランス人から捉えられた。

サクレクール大聖堂_1
サクレクール大聖堂_2
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サクレクール大聖堂_3

ノートルダム大聖堂
ノートルダムの名前がつく聖堂は、これまた、世界中にかなりある。その中で最も有名なのが、パリのそれだろう。殆どの人が地上から見ると思うが、少し下がったセーヌ川の船から見る感じが私は好きだ。『我らが貴婦人』とはまた何と含蓄のある名前なのだろう。
パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。

ノートルダム大聖堂_1
ノートルダム大聖堂_2
ノートルダム大聖堂_3

以下2点はFREE画像を借用
ノートルダム大聖堂_4
ノートルダム大聖堂_5

このシリーズは終了したわけではないが、次回から『名越切通しを歩く』シリーズを先に取りあげる。

 

浅草寺~川治温泉~東武ワールドスクウェア(9)

東武ワールドスクウェア(3)
ヨーロッパ・ゾーン(1)


今度はエジプトからいきなりヨーロッパに移動する

パルテノン神殿
古代ギリシア時代に建設された建造物。本物は、2500年ほど経過するのか。見た感じのとおりにできている印象。おそらくここだけは、45年前に見た時と印象が変わらないように思う。これが黄金率というものかと思いながら見たような記憶が。
パルテノン神殿(希: Παρθενών, ローマ字: Parthenon)は、古代ギリシア時代にアテナイのアクロポリスの上に建設された、アテナイの守護神であるギリシア神話の女神アテーナーを祀る神殿。紀元前447年に建設が始まり、紀元前438年に完工、装飾等は紀元前431年まで行われた。パルテノン神殿はギリシア古代建築を現代に伝える最も重要な、ドーリア式建造物の最高峰と見なされる。装飾彫刻もギリシア美術の傑作である。この神殿は古代ギリシアそして民主政アテナイの象徴であり、世界的な文化遺産として世界遺産に認定されている。
パルテノン神殿_1
パルテノン神殿_2
パルテノン神殿_3
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パルテノン神殿_4
コロッセオ
2度見ているはずなのに、コロッセオとコンスタンティヌスの凱旋門とが隣接している記憶などどこかに行ってしまった。その一方で、暑くてたまらず、ジェラートを買い求めたしようがない記憶はある。何と頼りない恥ずかしい記憶だろう。
古代ローマの建造物。この時代にこんな巨大な建造物をつくった技術力は驚嘆に値する。被写体としては最高だと思う。しかも内部に立ち入ることができる。凄いものだ。
こちらの展示物は、俯瞰することができるので、実物よりある意味では優れているかもしれない。

コロッセウム(ラテン語: Colosseum, イタリア語: Colosseo コロッセオ)は、ローマ帝政期に造られた円形闘技場。英語で競技場を指す colosseum や、コロシアムの語源ともなっている。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場(ラテン語: Amphitheatrum Flavium)。現在ではローマを代表する観光地である。
コロッセオ_1
コロッセオ_2
コロッセオ_3
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コロッセオ_4
ピサの斜塔
ピサの斜塔 (伊語: Torre di Pisa) は、イタリアのピサ市にあるピサ大聖堂の鐘楼であり、世界遺産「ピサのドゥオモ広場」を構成する観光スポット。此処も行ったことがない。たまたま参加するツアーの行き先に含まれる可能性はなくはないが、個人的には行きたいとは思わない。
ピサの斜塔_1
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ピサの斜塔_2
サン・ピエトロ大聖堂
サン・ピエトロ大聖堂(伊語:Basilica di San Pietro in Vaticano)は、世界中に展開するカトリック教会の総元締めの大聖堂。バチカン市国にある。サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇る。床面積2万3千平米。北に隣接してローマ教皇の住むバチカン宮殿、バチカン美術館などがあり、国全体が『バチカン市国』としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。
世界中でも最も著名な建造物の一つ。大聖年に見たのが最後だなあ。

サン・ピエトロ大聖堂_1
サン・ピエトロ大聖堂_2
サン・ピエトロ大聖堂_3
サン・ピエトロ大聖堂_4
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サン・ピエトロ大聖堂_5
サン・ピエトロ大聖堂_6
ミラノ大聖堂
ミラノに行ったことがないので、残念ながらドゥオーモも見たことがない。商売でミラノによく行く友人の話では、非常に素晴らしいとのことだ。『お前もクリスチャンの端くれならぜひ行ってみることだ』と言われ続けている。返す言葉がないのが悔しい。
ミラノ大聖堂_1
ミラノ大聖堂_2
ミラノ大聖堂_3
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ミラノ大聖堂_4
サン・マルコ大聖堂
『サン・マルコ寺院』という呼称は好きではないので、『サン・マルコ大聖堂』と表記する。司教座聖堂でなかった時期が長いというのならば、『サン・マルコ聖堂』と称するのが適当かと思う。でも、既に200年以上も前から『大聖堂』なのだが。いつまで経っても『法王』と称しているのと一緒で、センスが無いこと甚だしい。
名前が示す通り、福音記者マルコにささげられた、ヴェネツィアの大聖堂。ヴェネツィアのど真ん中に位置する。浸水騒ぎと糞害とがとても気になる。

サン・マルコ大聖堂_1
サン・マルコ大聖堂_2
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サン・マルコ大聖堂_3
サン・マルコ大聖堂_4

 

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