散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

秋の瑞泉寺~報国禅寺~杉本寺(7)

杉本寺
行基が開基の堂々たる歴史を誇る鎌倉屈指の古刹。相当に古く、鎌倉では勿論最古の寺院。それでも室町以降の歴史ははっきりしないようだ。『だから関東の寺院はダメなんだ』と三文安に扱われそう。
前回行った時にはタイワンリスがかなりいたが、今回は見かけなかった。駆除に成功したのだろうか。

12月に再訪した時の紅葉
12月に再訪した時の紅葉
本堂
堂内はさして広くはないが、物凄く雰囲気がある。残念ながら撮影禁止で、その様子をお伝えできない。
本堂_1
本堂_2
本堂_3
本堂_4
本堂_5
本堂_6
本堂_6
本堂_7
仁王門
仁王門_1
仁王門_2
仁王門_3
千社札がところかまわず貼ってある。見苦しいったらありゃしない。
仁王門_4
仁王門_5
苔の石段
保護のため、立入禁止扱いになっている。苔の保護なのか、鎌倉石の階段の保護なのか。どちらなんだろう。
苔の石段_1
苔の石段_2
五輪塔群
五輪塔群
弁天堂
弁天堂_1
弁天堂_2
鐘楼
鐘楼

杉本寺は天台宗の寺。鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期の天平六年(734)に創建された鎌倉最古の寺。天平三年(731)、関東地方を歩いていた行基菩薩が、鎌倉の大蔵山から町を眺め「ここに観音様を置こう」と思い、自ら彫刻した十一面観音像を安置した。
その後、光明皇后の恩召により、行基が本堂を開創した。文治5年(1189)11月23日の夜、火災が起こったが本尊3体が大杉の下で火を避けられたので、それにより杉の本の観音と今日まで呼ばれたと「吾妻鏡」は伝えている。その後、建久2年(1191)9月18日に源頼朝が再興し以前の三尊像を内陣に安置し、別に立像7尺の十一面観音像を寄進した。


ここで、これ以上粘ると3連休の中日の混雑で苦しめられそうと判断し、大混雑のバスを利用せずに徒歩で鎌倉駅を目指した。
鶴岡八幡宮辺りからは観光客がごった返していて、先に進むのが大変な状況だった。初詣のときも段葛の通行止めを続行するのだろうか。ごった返す人で事故が起きなければよいのだが。


以上で『秋の瑞泉寺~報国禅寺~杉本寺』シリーズはおしまいです。最後までご覧頂きありがとうございました。

 

秋の瑞泉寺~報国禅寺~杉本寺(6)

ついでに凝りもせず、またまた瑞泉寺にも行ってみた。12月07日だというのに、やはり紅葉はまだだった。

瑞泉寺
報国寺に負けない竹林
報国寺に負けない竹林
こんなものは如何
見事な寄生木ぶりだ。堂々と発色している。
こんなものは如何_1
こんなものは如何_2
楓の紅葉は最も遅く、水仙の開花は最も速いという評判は本当のようだ。11月に来たときも水仙は既に開花していた。
こんなものは如何_3
こんなものは如何_4
庭園の紅葉もまだまだ
庭園の紅葉もまだまだ_1
庭園の紅葉もまだまだ_2
庭園の紅葉もまだまだ_3
庭園の紅葉もまだまだ_4
庭園の紅葉もまだまだ_5
庭園の紅葉もまだまだ_6
庭園の紅葉もまだまだ_7
吉野秀雄歌碑
『死をいとひ 生をもおそれ 人間の 揺れ定まらぬ こころ知るのみ』
吉野秀雄歌碑
久保田万太郎句碑
『いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ』
久保田万太郎句碑_1
久保田万太郎句碑_2

 

秋の瑞泉寺~報国禅寺~杉本寺(5)

11月の往訪時には行く予定がなかった旧華頂宮邸。建物内部の特別公開はずっと先のようだが、庭園は公開されていて、無料で入ることができるようだ。『これはおいでおいでしているんだ』と勝手に判断して行ってみた。
旧華頂宮邸
この邸宅を建てた華頂博信侯爵は、はるか昔に臣籍降下した人物。世間知らずの私が知る由もなかった人物。でも残された邸宅は立派だった。
堂々たる建物
東西の側面は斜面で遮られ、南北に開けた敷地になっていた。その正面(北側)は庭木で丸見えを避けた感じにしていた。私が建て主であってもそうするだろうと思う。
堂々たる建物_1
堂々たる建物_2
堂々たる建物_3
堂々たる建物_4
堂々たる建物_5
南側は広い庭になっていた。こちら側には木などは植えず、陽光が燦々と差し込む設計になっていた。
堂々たる建物_6
堂々たる建物_7
堂々たる建物_8
堂々たる建物_9
堂々たる建物_10
堂々たる建物_11
堂々たる建物_12
堂々たる建物_13
堂々たる建物_14
堂々たる建物_15
東側側面。通用口などはこちら側のようだ。
堂々たる建物_16
再び正面。少し東側よりからだと、強烈な逆光を遮ることができた。
堂々たる建物_17
堂々たる建物_18
堂々たる建物_19
庭にて
まだまだきれいな感じ
まだきれいな感じ_1
まだきれいな感じ_2
これからかな
これからかな_1
これからかな_2
途中で見たイソギク
途中で見たイソギク

華頂博信《かちょうひろのぶ、1905年(明治38年)5月22日-1970年(昭和45年)10月23日》
日本の皇族、政治家、海軍軍人。1926年(大正15年)10月19日に勲一等旭日桐花大綬章受章、12月7日に臣籍降下し、華頂の家号を賜り侯爵として華族に列せられた。この際、実兄である華頂宮博忠王の死により断絶していた華頂宮家の祭祀を継承した。
鎌倉市には1929年(昭和4年)に建設された華頂博信侯爵邸がある。1996年(平成8年)に鎌倉市が土地と建物を取得し、通称旧華頂宮邸として庭園部分が一般に公開されている。


 

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