散歩三昧

散歩や旅行の合間に撮った写真に簡単な説明を加えました

 

ミステリーツアーに参加してみた(9)

別所温泉(3)
北向観音を駆け足で見てきたのには理由がある。急げば、国宝の安楽寺『八角三重塔』を見ることができるからだ。ということで、急ぎ、安楽寺に向かう。
安楽寺(1)
鎌倉北条氏の外護を受け、大いに栄えたそうだ。おそらくは、実質的な開山である樵谷惟仙が鎌倉建長寺開山の蘭渓道隆が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したという縁があるからでもあろう。もう一つ、鎌倉時代、この別所温泉のある塩田平は、当時の政治の中心地の鎌倉と深い関係があった。特に、鎌倉幕府の連署(今でいえば副総理に相当?)だった北条義政などは、塩田の地、前山に館を構え、その子孫は三代にわたって鎌倉幕府の重臣として活躍した。そんなことから鎌倉からの文化がたくさん移入されたという事情もあろう。
はるか昔の鎌倉時代に、ここが鎌倉とかなり大きなつながりを有していたんだ。

国宝の『八角三重塔』
その寺勢が盛り上がっている頃の建築物で唯一現存しているのが、国宝の『八角三重塔』である。詳しい説明は次回分で行う。
国宝の『八角三重塔』_1
国宝の『八角三重塔』_2
黒門を潜る
ずっと山門だと思っていたが、山門は別にあり、こちらは他寺では総門に相当するものだろう。随分手前にある。ここから本堂までかなりの距離(300m)があり、さらに、国宝までは、階段を上っていく必要がある。禅宗のお寺に行くとつきものの『不許葷酒入山門』と書いた断り書きがあった。『葷酒(くんしゅ)の山門に入るを許さず』と読む。匂いの強い食べ物や酒を持ち込んではいけないということだが、禅修行の妨げになるとの考えからからであろう。
黒門を潜る_1
蓮田を横目に見ながら進む
黒門を潜る_2
今度は、まっすぐの参道
黒門を潜る_3
黒門を潜る_4
山門を潜る
これくらいの階段はしっかり上らねば
山門を潜る_1
山門を潜る_2
山門を潜る_3
山門を潜る_4
本堂まであと100mほど
山門を潜る_5
本堂が見えてきた
NDフィルター装着の効果ありかも。空がきれいに撮れている。
本堂が見えてきた_1
本堂が見えてきた_2
鐘楼
北向観音の鐘楼も立派だったが、こちらも負けていないなあ。見上げた感じだと、まだ新しいもののように見えた。
鐘楼_1
鐘楼_2
鐘楼_3
本堂
国宝がある古刹にふさわしい風格のある本堂だ
本堂_1
本堂_2
選佛場
坐禅場のことだろう。確か、途中の案内図にも坐禅場と書かれていたと記憶している。
選佛場
この先が有料ゾーン
この先が有料ゾーン

安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院。山号を崇福山と称する。院号は護国院。開山は樵谷惟仙(しょうこくいせん)。本尊は釈迦如来。国宝の八角三重塔があること、また長野県で最古の禅寺であることで知られる。
伝承では天平年間(729-749年)、行基の建立とも言い、平安時代の天長年間(824-834年)の創立とも言うが、鎌倉時代以前の歴史は判然としない。
安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙が住してからである。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、生没年ははっきりしないが、13世紀半ばに宋に留学し、著名な禅僧の蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で寛元4年(1246年)、日本へ帰国したという。2世住職の恵仁は宋の人で、やはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日した。
鎌倉時代の安楽寺は塩田荘を領した塩田流北条氏の庇護を得て栄えたが、室町時代以降衰退し、古い建物は八角三重塔を残すのみである。室町時代、天正8年(1580年)頃、高山順京(こうざんじゅんきょう)によって再興され、以後曹洞宗寺院となっている。

 

ミステリーツアーに参加してみた(8)

別所温泉(2)
北向観音(2)
『愛染カツラ』って、どこかで聞いたことがあるかもしれない。北向観音のカツラの木とその木に隣接する愛染明王堂に着想を得て、川口松太郎氏が1編の恋愛ドラマを書き上げた。小説及びこれを原作とした映画の大ヒットによって、この木も『愛染カツラ』と呼ばれるようになっているのだ。
愛染堂
愛染堂_1
愛染堂_2
小堂ながら精緻をこらした名堂として知られています。本尊は愛染明王で恐ろしい形相をしており、種々な誘惑や困難を打ち砕いてくれるという「恐れる仏」即ち「愛の仏」です。
明治15年、上田常盤城村の色川徳兵衛が新築して献納しました。

愛染カツラ(市指定文化財)
上田市の指定文化財と長野県の天然記念物とどちらが価値があるのかなあ。私だったら、後者だと思うのだが。
『愛染カツラ』の映画の中で、主人公の若い医師(上原 謙)が思いを寄せる女性(田中絹代)に言う。「この木は昔から愛染カツラと言われていて、この木につかまりながら恋人同士が誓いをたてると、将来は必ず結ばれるという言い伝えがあるんです。」
愛染堂と愛染桂とをなぜ2ショットで撮らないのかと訝る向きがあろう。実は少し離れているのだ。
愛染カツラ(市指定文化財)_1
愛染カツラ(市指定文化財)_2
愛染カツラ(市指定文化財)_3
愛染カツラ(市指定文化財)_4
樹齢1200年の老木で天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向(ようごう=神仏が一時姿を現すこと)した霊木といわれています。
境内の東隅にある愛染明王堂とこの桂の木に因んで故川口松太郎氏(1899-1985、第一回直木賞受賞)が「愛染かつら」を書かれたことはあまりに有名です。
若い人たちからは「縁結びの霊木」として親しまれております。また昭和14年6月5日、長野県の天然記念物に指定されました。

額堂
額堂_1
額堂_2
一般庶民は心に秘めた悩みの解消の願いを込め、自身で描いたり描いてもらった絵を神仏に奉納していました。これを掲げたのが絵馬堂です。
北向観音ではこれを額堂といい、江戸時代より絵の展示場として参拝者の目を楽しませてきました。
現在は仁王尊が安置されています。

札所観音堂
札所観音堂
享保年間篤信者が奉納した秩父三十四観音を安置してあります。元は東側の石垣に沿って建てられており、古図には「秩父堂」と記されています。現在は北側に移転再建されています。
護摩堂(不動堂)
護摩堂(不動堂)_1
護摩堂(不動堂)_2
昭和五十八年に本堂の傍らの護摩堂が再建されました。これにより境内の全ての堂宇が再建、移転が完了しました。

北向観音の近辺
飲泉塔
洗心のところでもふれたが、飲用可能な温泉水だ。当然のごとく私も飲ませていただいた。それにしても『慈覚大師の湯』ときたか。
飲泉塔
湯川
別所温泉に水源がある河川。最終的に信濃川と合流するため、一級河川扱いとなる。本当に大事に維持しているのか、川の水がものすごくきれいだ。
湯川_1
湯川_2
湯川_3
大師湯
一度入ってみたいと思っている共同湯。雰囲気があると思っている。
大師湯_1
大師湯_2

 

ミステリーツアーに参加してみた(7)

行き先はどこかな
白馬から406号線をずっと走った。この向かう先は、長野市だろう。それだけは誰でもわかる。行き先表示板に大書されている方向だから。
小田切ダム
途中で犀川の川幅が少し拡大してきた。どこかのダムになっているようだ。通過するときにわかったが、小田切ダムだった。犀川の最下流に建設されたダム。犀川は小田切ダムを過ぎると裾花川を合流させ、長野市東部で千曲川(長野県内における信濃川の呼称)に合流して終わるそうだ。小田切ダムは長野市中心市街地に近い感じ。実際に、すぐ近くだった。
小田切ダム_1
小田切ダム_2
小田切ダム_3
小田切ダム_4
小田切ダム_5
行き先は善光寺かな?
ミステリーツアーで、そんなメジャーな行き先はないだろうなとは思ったが。
リンゴも見えてきた
まだ、おいしくはなっていないかな
リンゴも見えてきた
川中島の古戦場跡も通過
善光寺とは違う方向に向かっているぞ
川中島の古戦場跡も通過_1
川中島の古戦場跡も通過_2
途中で蕎麦専門の土産物屋に立ち寄る
試食用のそばが出された。病み上がりで口が良くなかったのか、おいしく感じられなかった。m(__)m
途中で蕎麦専門の土産物屋に立ち寄る
上信越自動車道を坂城で降りる
千曲川を渡る。行く先は上田市だな。そうすると、別所温泉かなあ、などと考えた。
上信越自動車道を坂城で降りる_1
上信越自動車道を坂城で降りる_2

別所温泉(1)
そんなこんなでやってきた最初の目的地は別所温泉だった。3度目だなあ。それも、今回が一番の駆け足見学か。
駐車場前にある七苦離地蔵尊堂
外見は立派だ。別所温泉は信州最古の温泉で、日本武尊が7か所に温泉を開き「七苦離の温泉」と名付けたという伝説から「七久里の湯」とも呼ばれる。清少納言が執筆した枕草子にも記されていた名湯。
その入り口ともいえる場所に建立された。割と新しそうな地蔵尊堂。常楽寺が建立したそうだが、確かに右手前の分岐は常楽寺の参道だ。常楽寺はかなり雰囲気のある古刹。そして北向観音の本坊に当たる。今回は自由時間が約1時間しかなく、泣く泣くパスした。

七苦離地蔵尊堂_1
七苦離地蔵尊堂_2
七苦離地蔵尊堂_3
七苦離地蔵尊堂_4
北向観音(1)
善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで、善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうといわれるのだそうだ。とってつけたような惹句のように聞こえないでもないが、信じるものは救われるのだろう。別所温泉自体が美しい温泉街であり、詣でる方は少なくないようだ。
参道入り口
よく見たら、両脇に石塔がたっている。今頃になって気が付いた。おそらく、右側が、『普門示現』と書かれてあり、左側は、『能為作依怙』と書かれてあると思う。と思ったら、後で追加で1ショットを撮っていた。左側は、『能為作依怙』ではなく『能作依怙』と書かれてあったことが確認できた。興味のある方は、意味合いをお調べいただきたい。
参道入り口_1
参道入り口_2
参道
参道
観音堂が見えてきた
観音堂が見えてきた_1
観音堂が見えてきた_2
観音堂が見えてきた_3
観音堂
善光寺の本堂はT字型の棟の形が鐘を叩く撞木(しゅもく)に似ていることから「撞木造り」と呼ばれている。たびたび修復を加えてきたが、昭和36年の増改築で、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」としたそうだ。
観音堂_1
観音堂_2
洗心
温泉なのだ。生暖かいお湯が出る。飲むことができるようだ。こことは別に参道脇に飲泉塔がある。
洗心_1
洗心_2
観音堂正面のすぐ左には参拝前に体を清める水(温水)があります。こちらの水(温水)は全国でも珍しい別所温泉の源泉が湧きだしております。
鐘楼と梵鐘
鐘楼と梵鐘_1
鐘楼と梵鐘_2
鐘楼の建立年代は不明ですが梵鐘は寛政五年に上田の鋳物師、小島久兵衛弘文とその子、国一の合作でした。
第二次世界大戦で金属の供出という運命にあい行方不明となってしまいました。 現在の鐘は昭和二十四年に長野市で開かれた平和博覧会に出陳された香取正彦の作によるものですが、当時善光寺大勧進の副住職であった常楽寺半田孝海大僧正が求めてこの鐘楼に納めました。

温泉薬師瑠璃殿
鳥取の投入堂や山形の山寺の釈迦堂ほどではないにしても、ちょっと怖さを感じるお堂だ。そのくせ、見るのが好きで、行くたびににらめっこをしている。
温泉薬師瑠璃殿_1
温泉薬師瑠璃殿_2
この温泉薬師は伝説には行基菩薩の創建、慈覚大師の再建といわれますが、以前の薬師堂の位置は今の「大師湯」の西隣りであったようです。
寛保二年(1741)湯川の氾濫によって薬師堂は流され、寛保四年から湯本講中で再建を計画したようです。そして今の建物は文化六年(1809)に湯本講中の積立金により再建されました。


北向観音(きたむきかんのん)は、長野県上田市の別所温泉にある天台宗の寺院。近隣にある天台宗常楽寺が本坊であり、その伽藍の一部として同寺が所有・管理する。
寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)、円仁(慈覚大師)によって開創されたという。800年代にも火災の伝説が残る。安和2年(969年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建されたと伝えられる。
江戸時代に至って正徳3年(1713年)に焼失し、8年後の享保6年(1721年)に現在の堂が再建された。その後度々修復を加え、昭和36年に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれている。また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われる。
観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、文化6年(1809年)に地元の薬師講により再建された。
愛染堂の近くに縁結びの霊木として崇められている愛染かつらの巨木がある。(樹高22m)

 

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